ゴッホ黒板画(への道のり)その魔ぉうめも
ゴッホ黒板画(への道のり)その魔ぉうめも
少し遡ってぼちぼちと思い出話しをしますね。
(そんなに苦労したの?)なんて話は聞きたくないでしょう?
でも苦労したんですよ、ほんとのひと苦労です!
何故かと言うと 行動を起こすための起動が常に遅くて、
尊敬する先生からも言われました〈君は” 本”当”に” スロー”スターター”だ”ね”〉と
そう、常に大橋学くんはいっつもこんな感じです (笑)
ユジク阿佐ヶ谷のゆいさん(支配人)にゴッホ絵を描いて貰えませんか?と初めて相談を受けたのは昨年の12月初めの頃で
最初は生徒にかな?(と思ってしまったくらい意外な依頼でした)
この自分に?と気が付いてからも 暫しお返事はせずに
日はだいぶ 過ぎていき
学校も有ることだし(その間に抜けて)メールではどうも伝え難いので直接ユジクに。
それで ゆいさんにじかに話してみると…
そしたら〈もうやります!〉を前提で話してる自分がいたのだ…w
こんなイメージでああしてこうして…(ああ!ホントにやるのかい?相手はゴッホだぜ‼︎やれるのか⁇じぶん¿?^^;)と身振りで語って絵面を説明しているではないか!
それからいく週間過ぎたろ
(何もしない自分がそこにいた)
映画も見たし、展示も行ったから 仕込みも、全てオッケー
な、状態がじぶんを駄目にするらしい
あぁ…
(少し飛ばす)笑
ついに限界が来た!
(もうゴッホ画についてやるしかない!)
予定外に超早めの朝散歩に出た
(これは近所を一回りコースで)橋のあたりで朝日が来た‼︎
急ぎ橋に上がり陽をいっぱい浴びた!
片っ端からゴッホ画を練習した
目当ての自画像は後回して
向日葵、麦畑、糸杉、と、、
模写だけど描いて見て分かるのはそのタッチのすごさだ
これはアニメで言うところの〈エフェクト〉そのものだ!
そして自画像は色々有るがこれは!と言えるのは一つだけ
(左を見てる画のみ)※ユジクの入口から入るとゴッホは右向きより左向きが良い、と決めていた。
この目当ての自画像は眼が最高な〈孤独感〉を出してた
じぶんもおふざけで自画像を描いたりしてたけど このゴッホには
ほとんどの画に笑顔は一つもない!ひたすら自身を見つめ続けた究極の〈孤独な〉美しさを感じる
頼まれたりしなけりゃ気が付かない世界が
そこには
広がっていた
構成した〈ゴッホ 最期の手紙〉画が出来た!
明日の本番1日まえでした‼︎
寝よう明日のために(たっぷりと)
当日〈1月19日の夜〉
前の黒板作家さんの画は夜の10時半に消されて その後に
という事で23時からのスタートにした、推定朝の5時(を目指す)
※1時間半くらいしたらと、援軍をお願いしていた。
さあ、後は見ての通り ただ没頭するのみさ‼️w
(カラスにサイン入れて
)おしまい
〈黒板ゴッホ画の為の魔ぉうめも日記〉
描き終えてからのめもより
いや いや ナントも…!
黒板を手なづけることは
とてもムリでした。
紙に描く時と黒板との差は =沢庵一切れと食べ放題のスキヤキほど違うか?
(上手く例えられてない?笑)
これを壮大なる落書きとするのならば許されるだろか?
ゴッホの最期のために考えてた日々が長すぎたのか?
したため過ぎたのか?
いやいやそうじゃない、おこがましくもゴッホのための
お勉強は楽しかった!
真似て描いて見て分かったことは それはアニメ的な興奮でした。
それはすべてのタッチに現れています!
筆のタッチはもうスペクタクルなエフェクトなんです
(晩年ほど際だつ)
この為に が無ければきっとお勉強はしなかっただろう、、
(それだけでも大収穫です)
自分の表現したかったのはゴッホの孤独さ、そして筆のエフェクト(的なタッチ)でしたが(構成してたのとは違ってしまった)
やはり相手は初に近い手強い黒板です。
何しろ白黒が逆だもんね!
(とても1人ではムリ、と思っていたので)小さな学校の生徒たち(有志)に最初から援軍を頼んでいた、
🌻主にひまわり組チーム、(へきちゃん、Mariさん、みほちゃん)
そして🌲糸杉を1人(Naさん)に メインに担当してもらった。
(途中ほかの生徒たちも気になるのだろうか?見に来てくれ ちょこっと足したりしてw)
みんなセンセより若いから パワフルさにびっくりしたもんです、
(当然か?魔ぉうセンセは《169さい》だもの!!笑)
いや〜本当に終えてみると1人ではとてもとても たとえ三日しても終わらなかった気がする、
(生徒パワーには脱帽しました!)朝の5時まで終わらせる予定でしたが終わらず、凡その制作した時間推定は
(夜23時頃〜翌日の朝7時半)8時間半の大労作ゴッホ画になりましたね!
想いとは別な面もあるには有るが
これもりっぱなゴッホ画になったと思います。
ほんとに皆さんご協力ありがとうございました!
多くの仲間たちの融合さによるゴッホ黒板画は
無事に完成しました!
そうでしたそうでした 陰ながらの協力をして下さったのは
アニメかんとくの浜さんです。黒板に下図の転写が思いのほか苦労したのを見かねて
最初の黒板画に線引きとアタリを入れてくださりました、大いに助かりましたのでとても感謝です!
そうでした娘(次女のしょーちゃん)が 初めから終わりまでめいいっぱいの記録をしてくれました、ホントにお付き合いご苦労さんでした、どーもありがとう!(その映像上手くまとまるといいね)
そして最後にユジク阿佐谷の (支配人)ゆいさん。
ゴッホ画を大橋に頼んで下さり感謝です!
本当にありがとうございました。
この制作プロセスはきっとあったかい心の記憶に残ることでしょう。
みんなとともにゴッホさんに
乾杯を!
2018-1月20日(ユジクでのゴッホの最期 上映初日に)
記録と記憶めも
大橋学
ユジクのロビーに
↑(大橋学の本には全部サインも入れました)
完成した映像です↓ 撮影はSyo-chan
大橋学、黒板にゴッホを描く〈ショートVer )YouTube
https://youtu.be/HjkJlDQqJaQ
大橋学、黒板にゴッホを描く〈ロングVer.〉YouTube
https://youtu.be/xlWzyanOyds
ー追記ー
ゴッホ 最期の手紙〜
二度見の感想めもより
一度目は吹き替えで二度目は字幕
最初の吹き替えでは絵は追わず(映画の役者を見る)物語を推理ドラマとして見、二度目は本を読むように(字を追った)この見かたで良かったのだろう、まるで別なゴッホを知れた(二度目の方が泣ける)満員だったのでまだ続けて欲しい(終えた後黒板画を再度見、眼は裏切っていないな と思えた)
1月26日
ー追記②ー
ゴッホ黒板画 アニメ的な下絵図より。大橋学 (とご協力の小さな学校の生徒の皆さん)
補足:アニメ原画は兎も角(絵は下書きなしが普通で)だが黒板は大き過ぎた!下絵を黒板に写すため真ん中に+文字を入れた、これがアニメ的L/Oの要素ですね。
2/2迄 #ゴッホ最期の手紙 1月31日
instagram.com/p/BenKZl3hHnG/
ー追記③ー
このブログが出る頃にはユジク阿佐ヶ谷には新しい黒板画が作られ そして
きっと 又何かが生まれてることでしょう。(二度とチャレンジ出来ないことを)
ありがとうござい魔ぉうした🌟
大橋 学 2月1日
さて、次なる 小さくとも大きな目標は?
もちろんアートアニメーションの小さな学校の上映会です!
↓2017年度の立体作品と平面作品と久里洋二講座作品とそして魔ぉう塾教室作品と盛り沢山なので覚えておいてくださいね! 大橋学
2018年 3月31日(土曜)- 4月1日(日曜)の二日間開催です❣️
お、た、の、し、み、に !
アート・アニメーションのちいさな学校 ↓
http://www.laputa-jp.com/school/
maocloud・net (大橋学 公式サイト) ↓
https://www.maocloud.net/
↓これからのユジク阿佐ヶ谷🎞
https://www.yujikuasagaya.com/
アニメ千一夜 日動のころ 森 やすじ :東映動画ガリ版誌「あしおと」より
森やすじさんと大工原さん。(額を持って下さったのは高畑さん)
=《文芸》=
アニメ千一夜
その(1)
=《文芸》= 「あしおと」より
注:大橋学からの補足 東映動画には正式な社内報が(1)あり、それ以外に有志が出している「あしおと」(2)と「しあげ」←(仕上げグループからのガリ版誌)(3)とが存在した。ここで抜粋させていただいたのは“K 生”こと(大塚 康生氏 代表グループの自主的なガリ版誌)「あしおと」より第一回「森 やすじ」さんのアニメ千一夜が埋もれたままでは勿体無くて、また自分でもちゃんと読み返したくて保存用に文字起こしさせていただきました。もしかしてちゃんと森さんの自伝には載っているのかもしれませんが重複してたらごめんなさいです。年代は同期の人も載ってるので太陽の王子の準備のころ、又は作品の中断した時期と思われます。1966〜1967?
日動のころ
森 やすじ
昭和二十三年、私が日本動画社に入社した時には日本にはまだ マンガ映画を作るスタジオは数える程しかなく他に日本漫画 芦田漫画 大藤氏の千代紙映画などがあり、
日本動画社には「クモとチューリップ」「すてネコトラチャン」などを演出と原画を描いた政岡憲三氏がおられ マンガ映画の草分けである山本善次郎氏が社長でした。
アニメーターには(アニメーションだとかアニメーターなどという言葉はずっとあとになってから使われるようになったのですが)「クモとチューリップ」やそれ以前から政岡氏のしていた熊川正雄氏(三幸スタジオ)
浜 康雄氏(当スタジオ特殊効果)など四、五人おりました。
藪下取締はその頃 撮影の方を担当していました。
スタジオといっても牛込若松町の成城高校の一階と二階の二部屋の教室で、撮影台はオンボロが有りましたが、映写機などはなく ラッシュなどは夜おそく映画のはねた映画館に見に行った事をおぼえています。
私は見習一カ月で彩色をやらされましたが 月給は千円でした、
当時としてもベラボーに安くオヤジに無心の手紙を書きました。
仕事は政岡氏の「トラチャンの花嫁」を制作しておりましたが すぐ一時中止して鉄道省からの依頼の作品「ポッポさん駅長の巻」を作る事になり熊川氏が演出、原画を担当しました。
その頃私も二、三人と一緒に動画にまわされ給与もピースワーク(出来高)になり私も下手ながら毎日残業をやったりしていましたから 幾分よくなりやっとカストリやショーチューなどを飲み歩く事が出来るようになりました。
作画システムはほとんど現在と変りなく、ただ二巻物の作品でしたから 演出家というものがなく 原画家が演出をしていました。
やはり原画をもらって出来上がったら原画家のトコロに持っていき 胸をドキドキさせ イヤーな感じだなと思ひながら原画の人の言葉を待ったのを記憶しています。
二十四年になって「トラちゃんの花嫁」が完成
ポッポさん第二作「機関士の巻」が作られ その頃 日本漫画から古沢日出雄、福井英一(故人)、木下としお、木村一郎などという方が移って来。
背景には大工原氏が手伝いにやって来たりし 日本動画社の一番活気のある時代でした。
ですから彩色にはアルバイトが大勢来て居りました。
近くに日本女子医大が有りましたので そこの女子学生や女子美の学生などでした。
私はもうヒゲを生やしていましたが
モテテ、モテテ
困ったものです。
その中に現在の私のオクサマが来て居りまして とんでもない事になった
というワケであります。
編集后記
十月二十一日のベトナム反戦ストを目前にひかえ、各センモン部の活パツな動きが目につきます。
あしあと班も新執行部のもとに新しく編成がえされてから早く第十二号を出さなければと思いながらも なかなか思う様にいかず、
それでもなんとか十二号を出すまでにこぎつけました。
これからはもっと良いものを出して行こうと一同気力充分ですのでよろしく
K 生
🌸あなたのクセは?
○人と話すとき、物を考える時、自分のいる所が机の上でも、椅子の上でも、又はどんなに広いところでも、足をおりまげ、ひざをかかえて、小さくうずくまるくせがある。
演出 高畑 勲さん
=【妥協はしない】=
奥山 玲子
私は照れ屋なので、抱負とか何かを気負いたった言葉で述べることは好みません。ただ、自分の納得のいかない仕事、妥協や迎合はしたくないと思っています。
それでなければ、会社の仕事以外に、わざわざ絵を描いたりする必要はないわけですから。
いろいろと思うところあって、今はスランプ気味。その波が時期的に重なったので、困ったなあ と思っているところです。
10作
林 静一
男とは男性で
女とは女性である
男とは斗いで死ぬが
女はきずつくが死なない
男とは、悪者ぶるけどけして悪者ではない
女とは、善者ぶるけどけして善者ではない
↑(林静一さんとはご存じ「小梅ちゃん」で有名なイラストレーターさんですがこの当時は18か19歳です、ホルスで海岸の波打ち際を自身で撮影しライブアクションとして波のカットを1ヶ月間描いてたそうです。(親しい友人の談話)これが東映での最後かもしれないですね。
森やすじさんと交流を持たせていただけたのは「のどか森のー」お仕事でマッドハウスに来られた時↑この「雲と少年」をお渡し出来たのが直接のきっかけと成りました。この時とてもびっくりしたのは座っておられたのに急に立ち上がり(この森さんから見たら新人のこの大橋学に)頭を深く垂れてご挨拶された事です。ものすごく恐縮しました。自分の本も丁寧に読んで下さり後で感想を書いて下さいました。ただただ嬉しい限りです。
ほぼ晩年に成りますが森さんの展覧会で久しぶりにご挨拶ができた時。
(その感想を再録させていただきました) もうもしかすると大橋学も森さんの年齢を超えたのか?それぐらい森さんは早く亡くなられたのはとてもざんねんなことでした。
左より高畑 勲さん。中央(故人)白川大作さん。右に 大塚 康生さん。(東映でのOB会にて撮影
◎とても全部は紹介出来ないので一部抜粋です。この後も読みたいのですが多分長編も忙しくなりガリ版誌は自然消滅したのではないか?と思われます。「時代的には数年以内に大多数の一流アニメーターは東映動画を離れて行く事になる」からです。
記憶の記録 2017ー1/23 大橋 学
ユーリー.ノ・おじさんのハナシ
ユーリー.ノ・おじさんのハナシ
はじめにお断りをし魔ぁーす。
今回ノルシュティンさんのことを書かせていただきましたが 大橋 学は実はノルシュティンさんのファンでもないし神さまだとも思っていません💦←それは単に知りえる程の知識がないことが理由だと思われる。。
その事を辿ると(長くなりそうですいません)大橋学は人を知ることにたいへん臆病なのでしょう。子供の時代から人は(友人は)去るもの、と言う分からないトラウマみたいなものが心の何処かに住み着いて居ます(何でだろうね〜)実は若いときから結構感情の浮き沈みが酷くて夢見ちゃ挫折してを何十回か繰り返したりして来ましたが 追えば逃げる恋のように概ね人を求めると破れるものなんだと...
このことから学んだのは他の人は他の人であり自分ではどうにもならない存在と認めることになりました。ゆえに(本当の神さまでさえ疑惑を持つタイプ)知らされる知識は苦手で大嫌い 自分から望み、
見たままの世界だけが本当に知りたい心の柱だと思うのであり魔す。(←理屈っぽいねw)
そんな大橋学くんがつい流れで
ノルさんの居られる「だいこん屋」さんへ行くことになりましたが(この文はその時のまんま)
拙いブログですが宜しかったらゆるりとお付き合いくださいませ
ユーリー.ノ・おじさんのハナシ
魔ぉめも風にはじめます
○月△日/「セシウムと少女」監督である才谷さんがある日こんなこと言うのでした(おおはしさんはノルシュティンさんに別に会いたくないですよね?)
えっ....... ........(←なんて答えようかと思案してる)
ん〜〜〜〜と(心で答えようかと)のど元に出るか出ないか?の寸前に話題は変わってた(笑)だからそのことには答えては居ない。。
話は生徒たちに移りつづいてた
ふゅーじょんで招待したのではないのだけどお忍びで来られる(らしい..?)
ので「会いたい人は居ますか?」と先の話に繋がるのでした。
もちろん生徒たちの何人かは(お会い出来るものなら行きま〜〜す行きたいです‼︎)と
黄色い声をあげたのだが☆☆☆
その日はある日の授業の日に(唐突に)来た
夜の10時からのはずでした、
が?
もう夕刻六時半頃には着くという
(ナント速いの!?)
才谷さんと学校のかんけい者はそれに合わせ先に向かって行ったのだが授業そのものは夜7時から基本は9時までなので(少し授業をしてから9時までには向かいます)と伝えたのだが…
せっかくユーリーさんに会える(会いたい!と言ってたのに)その日の生徒はたった2人ですょー!(勿体無いでしょ〜〜にね〜)
なので阿佐ヶ谷に住んでる生徒の0ちゃんを呼んで計4人で出かけて参り魔ぉうした〜☆
ここが「だいこん屋」
セシウムの撮影でも使われたユーリーさんのお気に入りの店、如何にもって言うか?もう日本の昔からあるような一杯飲み屋なのですが
ユーリーさんが座って飲んでるとなんと言うかハマっています(昔から座り続けて飲んでるおじさんなのでは?笑)
じつは、おおはし君は知識がないのでユーリーさんを良く知ってるものではない、
ファンの方には申し訳ないのだがその通りなので (その知らないながらも見たまんまのルポもどきをこれからしたいと思い魔ぉす)
宴はある程度は出来上がっていたが..
この宴は普通とちと違うのでは?
少なくとも先生とファンの交流会、的なモノではなくなんと言うか全く別ものではないか?と思う
その日に書いた感想をもう一度記して見ます。
(以下、その日の日記から)
《金曜の夜にとあるノルシュティンさんのの宴に参加して参り魔ぉうした、哀しぃ戦時の唄を歌ってくださいました それはとても痺れるうた、そしてシンガーのハナさんの歌もだいこんマスターのギターも素晴らしくとこの日の宴は「うた声酒場?」のようでもあり魔した♪》
そうなのでした。まずシンガーのはな(花?華?)さんの歌声がギターの弾き語りでこの場を癒してくれたのだと思います
その柔らかい歌声とに、
あと学校のTさんの十八番(おはこ)小柳ルミ子の『瀬戸の花嫁』←歌に沿った振り付けの歌には皆はどっと笑った❗️(ユーリーさんも‼️)確かに見てる方が照れるくらい真面目な振りなので日本語歌詞でも分かるようです。
唐突にユーリーさん立ち上がる!
ずーと座ってたので御手洗いかな?
そう思ってたらある歌の説明をロシア語で(また通訳の方が素晴らしく感情を込めて自分の話のように訳されるからそのまま聞いていられるのでした)
戦時中に(戦時を盛り上げるために作られる工作された歌ではなく)どこからその歌「メロディ」は発生したのか?誰がその歌を、作ったのか?不明ながらも静かに広がっていって
その美しいメロディにとある詩人は魅せられそのメロディに「歌詞」を付けた。
それからはあっという魔に(ロシア全体に)拡がったそうだ。
ユーリーさんは説明を終えるととつぜんに歌い出したのだ!
なんと哀しみのある歌と声の響でした!
ユーリーさんをよく知らなくても歌を唄うユーリーさんは素晴らしいと、このときに思いましたよ、(やー!ホントに聞けて良かった(๑˃̵ᴗ˂̵)〜🌟)
ユーリーさんの話でもう1つ・・
「煙草の香りのするこの店を無くさないでほしい、やめてはだめです」
だいこん屋店主が (いつ迄この店をやれるのか?分からない 歳だからね)
に答えての話。「いま世界ぢゅう行なわれている(煙草とその排除)ことは逆に差別なのです!」と、
ユーリーさんは煙草を吸わないようですが何とたばこ吸いには嬉しいお言葉をいただきました‼️w
*これは個人的な煙草への感想ですが、二十一歳迄に戦争へ行け、或いは煙草を吸うのは大人の義務である、と、国に言われたとしたらそれもまた差別だし、皆が吸わなくなったのだから吸う人は去れ!とばかりに隅に追いやられるのもコレも又差別となり、、こうなると人々は何方か1つに成れ!と強要された戦時と大して変わりませんよね?
少し脱線しましたが、どちらも許容し許し合えないのならばそれは自由の効かない戦時の昔に戻るだけでしょう?
話はユーリーさんの歌に戻り
(じぶん流解釈ですが)その唄を聞けば
「もうおたがい戦うなんてやめないか? もっと静かに お互いにおたがいを受け入れあって (海が繋がってるように)
静かなることはこんなにも素晴らしい..♪」かなり違うかも知れないけど…(←や、これは完全に魔ぉ風の解釈ですね!すんません〜〜😅💦)
戦争の賛美する歌が求められる時に人々はこの歌を真に求めていたのでした。
*この辺にユーリーさんの話はさり気なく語られてたのでしたが かなり痺れましたぜ〜〜^ - ^☆
そうそうユーリーさんのアニメーションは殆んど(外套を、創作中なのは理解している)知らないのですがこの歌と風貌からして「もりやすじ」さんがオーバーラップして来ましたね
そのフィーリングならば分かりました
(人がらがからしてきっとたつじんです‼️)←今ごろ〜〜😅💦
*それ以外には(手塚プロのKさんが)手塚さんのことで何か覚えていることは有りますか?と手塚さんのことを聞かれたのに対して、ユーリーさんが手塚さんと広島アニメーションの最初(2回目らしい)の審査員としてお会いしたのだが、審査の結果のことで意見が分かれたこと
「手塚さんは :「受賞者を二人にしたい」(賞金も二分)
ユーリーさん: 「それはぜったいに反対」と最後までそれを通したそうだ…。
その後手塚さんは皆を労うように気遣って 有るお宿にユーリーさん(等)を招待されたそうで、その配慮と宿のあまりの素晴らしさにたいそう感激もし そのことは手塚さんのことで忘れられない想いでになりました。。(←と話されていました)
この辺りはお二人のたつじんの個性の違いが良く出ているエピソードじゃないのだろうか・・?
宴もそろそろ佳境になりました。
空になったボトルに絵を描くユーリーノルシュテインさん(お酒をあとで足すそうだ 笑 )
宴の終わりにユーリーさんが狭い脇を通られたので ユーリーさんに(ありがとうございました)と言ったら即座に「アリガトウ ゴザイマシタ!」と返していただきました、もちろん日本語です。
はい、素晴らしい言葉とはコレですょね
同じようにシンガーのハナさんに歌の感想「初恋」がとても良かったです。と伝えられたけど
だいこん屋の店主のギターの感想は言えず仕舞いなのが惜しかった…
(酒入れないと弾けないとかで)ウヰスキー飲みつ薄いから濃いの入れて、と言いながらも冴えたギターを聴かせていただきました。
宴はこれで終わるはずなのでしたが..
この日は皆んな"歌わないといけない"らしくナント第二の歌の宴はつづいてつづいて行ったのでしたー
それからして更に一同は解散したつもりの筈なのに...
この日は夜明けまで数名で飲み明かした阿佐ヶ谷なり
いや〜〜何と言う日なんだょー!(笑)
では もう一度 最初の話に戻りますね
「おおはしさんは“ノルシュティン ”会いたくないでしょ?」と言った才谷さんの質問に成らない質問に答えてみようかと思います (聞いた才谷さんはなんでそう言ったのでしょうか?)
そうだねー、努力して答えてみますね、
あの時点では(べつに会えなくても..)←たぶんコレ💦
思うに名の知れた人や有名な方はもうそれだけで会いたい理由になりませんし、じぶんの中ではじぶんで消化仕切れないほどの人を受け入れたく無かったのはじぶんの性格でもあり信条なのですね
無闇矢鱈に会えば破綻もするので(それ程こころ柔なのか?或いは許容力がないのか・・)
しかしコレもお終い、いい加減な頑固さはだいぶ治ってきたのもやはり学校のセンセをやり始めたからかも知れないな..と?
いまは生徒の一人ひとりが皆気になる存在です
(これは大きく変わって行く今のじぶん、またソレが大橋学なのです)
例えユーリーノルシュティンさんであっても いま関わってる人の方がもっと大事な存在です
でもみらい出会うべきな方も又大切な存在になるのでしょうね きっと、
だから歌を聴かせて下さったユーリーさんは風貌の良さげな人の良いおじさんと呼ばせていただき魔ーす
ユーリーのおじさんあの歌を聴かせてくれて
アリガトウゴザイマシタ〜〜👻💦😅✨
いちおうお終い☆
全ての宴の終わりに
ノルシュテインとだいこん屋の歌宴
https://youtu.be/JxxBLE1l5p8
始発から少しした電車に乗りおりる駅に着いて空を見上げたら
鳥たちが
群れをなして旋回していた
朝だなー
夜明けだな〜〜
帰って眠ろうか?
そうだね〜〜💮✨
2016-10月28日 だいこん屋さんとユーリーさんの記録から
編集 2016-11/7 文責任:大橋学 (MAO)
映画com ◉アニメの神様/ユーリー・ノルシュテインが伝えたいこと
http://eiga.com/news/20161209/7/
エピソード追記 (まとめ)11月27日
《この日の事も含めノルシュテインさんの膨大な今までの記録を映像にまとめる企画が水面下で進行中 らしいですょ??》
ー 追加の追加のあとがき ー
や〜っ⁉️なんとぉ〜、とうとう投稿出来ずひと月も過ぎていた、何故出せなかったのだろ…(でも書いたのだから出そう‥)
そして◎これがらむど夢幻 ブログ50作目の記念とします。
⚪︎そうそうあの振付つきの歌を歌った tさんの話ではユーリーさんは良く歌われるそうです、「でもあの歌は初めてですね。」そう仰ってました。。 ー 了 ー
三たび追記 年の瀬2016年 12月28日☆この日妻が旅立ちしてから丸15年に成りました、 本当に月日過ぎるは疾い❣️
皆さま良いお年をお迎えください^ ^ Mao🎍✨
第一回 大橋学作画魔ぉう塾開催 その一
阿佐ヶ谷 アートアニメーション小さな学校 特別授業が開催された(全十三回)
終了後追加1日(予定)有り
2016:大橋学 作画魔ぉう塾 その一
事前に準備不足だったので早めに到着するがもう塾生がちらほらと、、
そんなことしてる間にアッと言う間に一杯の塾生で満員!!
魔ぉう作画からランダムな纏めの映像を観ていただいて(その間に休む魔ぉせんw)
その後自身の体験見聞きした東映時代の背景のレイアウト(原図)歴史を簡単に説明する(知らないかも知れないが流れを変えた人は4人、頭文字でD.A、K.L、M.H、K.K)←1つの時代限定。←(んーむ、何を語ったのか?親しい人は聞いて下さ〜い^^;)
そして本題の魔ぉう塾のW.Sの流れ
「私のラストシーン」を説明し、次回へと駒を進めて行く予定。
そしてお遊び教材の「フェイス」を描いて第一回目授業は終了(述べ4時間)
塾生はプロ、アマ、映像、立体、と本当にバラエティな人材揃いでこんな早くヒートアップして良いのやら、、
嬉しき悲鳴をあげた魔ぉう塾長の一日は終り魔ぉうした。
(ふわ〜ぁ!ステージ上げすぎだょこれからタイヘンじゃん 笑💦)あ、オマケが有りやした⁉︎
帰りに一緒に成ったItowさんと祇園でお茶をしたのだが、でる時にア○エリオン?←(間違えたら御免さい^^;)の某監督と、遭遇しご挨拶して+追加?授業もじゃもじゃ話しも終了〜〜、
はい
本当に本当に皆さんご苦労さまでした〜〜〜!
魔ぉうも少し多めにガンバしたので
おっつかれサマーー👻💦✨
2016-9/6 大橋学 (魔ぉう塾長) 追加編集 9/12
協力 アートアニメーション小さな学校 赤池啓也氏 :アシスタント 石井栄太くん : フジコちゃん
あ、すい魔ぉうせん〜、前日ササユリカフェの大平晋也さんの原画エフェクト展を見て来たのですが
こんな所で何ですが大平さんにめっせーじを
やっ!あなたはイジョウなるご病気ですです❗️❗️←にスバラシが付き魔ぉうす❗️❗️❗️
どうぞコレからも初心ワスレズにどうぞそのままイジョウなるご病気で〜、居てクダサー〜〜ーイ⁉︎」
若葉のともだち大橋魔王より」👻〰🙏🙌✌️✨
#さよならこの辺 (K 川 散歩より) 2016 夏の日
思いのほか永い魔ぉう(大橋学)の 魔めもになってしまった。
さよならこの辺 (K 川 散歩より) 2016 夏の日
ぱーと (1)
大橋学も独りに成り15年にもなろうとしてるのに恋の一つや二つ有っても良かろうにね(何でないの?笑)
ぱーと (2)
今から36年前の家の事ををチトだけ振りかえってみましょう
手伝ってくれたのはうれしいがもう家の中はめちゃくちゃで(笑)
力持ちさんありがと〜う☆
この家は振り返るとたくさんの亡くなった方々が来てくださっていました。
そんな永きに住んで居た家を後にするのは勇気がとても入りましたがその時は熟し切ったのをやっと悟りました、(ちょっと大げさにw)
ほんとにどうもありがとうございます、娘たちよ、感謝感謝☆⭐︎🌟
ぱーと (3) 終章🚣〰✨
そして今度の新しいお引っ越しにおいてとてもお世話に成ったヲノヂンとみなさま(あと1回の片付けとお引っ越しはまだ残ってますが) 有り難う〜感謝感謝で〜〜す☆⭐︎🌟
(まだヒミツのばしょで恐らく魔王ジョー❔と成るでしょう❔❔👽😦😉👻〰💦w)
わかってるのはたぶん初根さんだけですね、
その初根さんの想いをすべて捨て去り魔ぉう(大橋学)は新天地へ、
此処を立ち去り向かいま〜す、
鳥のように花のように
生きて参りん🙏✨🙏✨
ガンバがんば!静かに(燃えよ)がんばなのダー〜ッ👻✨www.
ユジク阿佐谷 凱旋【セシウムと少女】その(3)
ーつづきー
この日のお忙し(1)はお昼から下北沢で「風のように」のゲストトークでの参加でした。
その(2)は四谷三丁目、アートコンプレックスセンターでの「キムラタカヒロさんの25周年記念」の個展に。
その(3)は ユジク阿佐ヶ谷「セシウムと少女」へ
*世界の其々の映画祭の受賞を受けての凱旋上映です!
この日は才谷監督と白波瀬海来(しらはせかいら)さんの舞台挨拶付き上映です(20:40分くらいから〜)
いや〜阿佐ヶ谷まで来るのに随分と無駄に電車乗ってしまったなー
(新宿から行けば問題は無かったのに)
つい歩かない便利さから丸の内線で荻窪に直行し、
(南阿佐ヶ谷は通るのだけどそこで降りると又駅までが長いので)
通り過ぎてからまたJRで1駅戻る方が歩かなくて良いだろう、
そんな思いでいたら荻窪に着く直前に眠くなってキタよ〜大丈夫かぁ..
(映画ホントに観れるの〜?)
荻窪のホームに上がったら即電車が来たので だっーと乗りこんだら ナント?
特快に乗ってしまった、アリゃ!阿佐ヶ谷過ぎてまた中野までだよー(゚o゚;;💧→またUターンし
急ぎ阿佐ヶ谷へ
着いたらもう時間がない(喉がからから)コンビニでコーヒーとチーズケーキを買い、
ユジクに直行する、と..?
あ、監督の才谷さんロビーにまだ居ましたよ、
それで(もう上映前のトークは終わりました?)と、聞くと「此れからですよ」と。
ふー〜 間に合った!セーフで〜す!
席に座ると主演の海来さん、監督(才谷さん)ユジクの武井さんが入ってきて始まりです。
海来さんの元気な姿(夏バージョン)はまぶしいなー☆✨
新しい映画の出演も決まって撮影でこれから1ヶ月間 北海道に行くとのこと、
今回のミミちゃん役でも主演女優賞ノミネートされて他人ごとながらも嬉しい限りです
急きょ発表された 白波瀬海来さんが出演される「写真甲子園」↓
http://s.ameblo.jp/kai927ra/entry-12183192003.html
(なんだかんだと言ってもセシウムと少女は応援しているのです)
そして次回の出演作「写真甲子園」も 楽しみです☆
そして今回再び(3,4回目?)見てやっとセシウムと少女の観る見方が判った気がした。
1番シンプルに観れた(幸い寝ないで最後まで)
コレはミミちゃん(白波瀬海来さん)と神様たちのそれぞれのキャラクターの良さに有るな、
前に観た時はアニメシーンはじゃまじゃない?と思えたのもキャラクターをもっと知って貰いたい、
その理由ならば目的は叶ってるし(本編)映像もかなり凝っていて アングルなどは特に面白い絵作り
(撮影:加藤雄大さん)だと更に知ることができた、
(特に白秋が亡くなったシーンとか本当に美しい映像です..)
この映画の楽しみ方を素直に感じられたので帰りぎわにその事を才谷監督に伝えたらとても嬉しそうでした (今日時間有りませんか?)とも言われたのだが
もう夜の11時、(あ、今日は有りませ〜ん💦また今度〜〜)と、ご挨拶だけしてユジクの外に、
いつも煙草屋前(灰皿の有る所)で兎に角一服してから 急いでお家に帰ろう!と思いつ ライターを探してたら無い!あれ〜?どこ行ったのライター〜!
仕方ないので側で青年が一服してたので(すいませ〜ん火を貸してくれませんか?)と尋ねたら、
はいどうぞ、と快く貸してくれたので一服する、
すると青年が話しかけてキタ(何ですか?)アレは何なのか?と
ユジクのことを聞いてきたのでタップリと(でも無いか?)
ユジク→ https://yujiku.wordpress.com/ *セシウムと少女は7/29(金)まで。
(スクリーンでは今回が見納めかもしれません)
一通り説明をすると青年は興味を持ったのか?
映画の看板を見に行った、それを見ながら急ぎ駅に直行すると..
アリゃ!バスが無い、そっか 日曜日か〜〜!こりゃきびしぃなー!
向こうに着いてもやっぱりバスは無いよなぁ〜⁉️
もっ、しょうがないタクシーで西武線まで直行し、それから電車に乗り継ぎ、
やっとこ駅に着いたが もはや乗り物は全てナッシ〜^^;
直ぐにでも家に帰ってバタンQ〜したいのだけど、タクシー乗るほどのリッチさは無いのだし、
も〜しょうがない歩くぞ〜〜、そんで歩くのを楽しむためにもアイスを買って食べながらでも
歩くぞ〜〜(≧∇≦)
と....😰 1時間ほど歩いた(泣き笑)💦
こうして長い超ハードな1日は終わったのでした。
行動の総時間13時間半の旅でした、あーちかれた〜〜、足がボボボな感じだ〜〜ぃ!
今日はちゃんと眠れるだろう、
そいでもって今日はとってもはっぴぃだよ、
マイお疲れ魔ぉうさんヾ(@⌒ー⌒@)ノ
歩けばきっと何かに成るさ、
信じようね〜⭕️
(スパゲッティ食らってダウンする)
2016-7/11
魔ぉうこと大橋学でした、
その後日談、アート学校の有る日の前にとある連絡が入り
(1時間ほど早く出かけた )
こんな場所にお花畑が..?阿佐ヶ谷ふゅーじょんのまだ秘密(でもないw)農園にて、
とある㊙️話しをしてき魔ぉうした。
ー映画の話しー
(第2作なのか?)
秋口から始める予定の「作画 魔ぉう塾?」の大まかなプラン作り
の こうそう
チラ見せ↓w
などなどを談笑する。
ん、で、かふぇ?とか?ぎゃらりーも〜⁉️
どんだけー〜〜❓
(て感じw)
☆途中らぷゅたのゆかりさんがお花を摘みに来たりと(ココは本当に阿佐ヶ谷なのか〜?w)
ん、もしかして夢多きたつじんとはこの人のこと言うのかもしれない..(そう思えた)
その未来てきたつじん提唱案
「アートハウス」しすてむ?とは ?
魔ぉうも大いに賛成したいもので 有り魔ぉうした。
楽しい1日が
またぷらすされるって(ちょっとぐらい忙しくても)いいもんです?よね😅💦
どーかな?
すべて思い方しだい、としておきましょー。
それにしても蚊に刺されて..カイカイ💦
2016年も、あーも〜〜たぁいヘン(笑)
大橋学(MAO) 記録
TAKAHIRO KIMURA展へ その(2)
KIMURA TAKAHIRO 展 2016•7/6-18
ーつづきー その(2)
そして行くことに決めたのはキムラタカヒロさんの(25周年記念の大展覧会)個展へGOーでした!
場所は四谷三丁目(迷わず行けるかな〜?)幸いに夜8時までやってるので助かる、駅についてから場所を検索です、
ん?割と正確に示してくれるよ
歩く方に携帯の図の印が付いて来る(珍しいな(笑))や、見えた、
看板がドンピシャリ目に入った、
見上げるとクラッシックな(教会のよーな?)アートコンプレックスセンター、
とうちゃく〜*(^o^)/*
中に入って見るとすごい空間ギャラリーなのでした、(絵を見る前にトイレ行っとこ)芳名帳に書き入れてると、あ、タカヒロさんの声が聞こえてキタ、
先にご挨拶して(しばしお父さんのことをお聞きしてから)それから ゆっくり絵を拝見させていただく
(見るコースが有るのでどうぞ〜)と、まず始まりから度肝抜かれますけど..w
すんごい作品群(まさに群群ぐんで感じ)でした、
会場がまたすばらしいなー、お子さんなら走ってしまうかもってくらい 広い!(いやいや、走ってはいけませんよ〜😅💦笑)
順番としては若いタカヒロさんの作品から見ていきましたが
こんなに大量に見るのはもちろん初めてだ、作品のエネルギーには圧倒される、
1つ1つも凄いのだがそれが塊になってるから、集大成エナジーのオーラが醸し出されていましたね
その中でも特にお気に入りは写真を撮らせて頂いた(オール写真オッケーとのこと)じゃんじゃん撮ってください。←(太っ腹なのです)
しばらく見ると年代で変化も見れ、やはり生きるとはそういう事だよな、とひとりで納得する
奥の方のデカイ壁面には総顔面がズラリ並ぶポイントが有る、ちょうどベンチもあり座って見ることにした、
(ベンチに座って顔面と対峙するようになってるから逆にこちらが見られてるんじゃなかろうか? と 錯覚する)
タカヒロさんと今度音楽と絵のコラボをされる音楽家の(7/16に開催される ライブペィンティング 木村タカヒロ(絵)+栗コーダーカルテット(音楽)その夏秋さんという方としばらくお話しをした、
なんだか、自分は音楽は聴くだけなので、その音を奏でる人には無条件に憧れちゃう所が有るのですが、絵の話でも何となく通じると言うのはあるもんですね〜、あ、その前に
タカヒロさんとはタイガーマスクの話を少ししたのだが他に絵の話ももう少ししたかったな、
25周年記念の個展として会場の広さもさることながら 素晴らしい展覧会でした☆✨
記念にタカヒロさんと一緒に写真を撮らせていただき魔ぉうした。
http://www.gallerycomplex.com/schedule/Hall16/kimura_takahiro.html
とても印象的なK Kさんなのでした◎
←木村タカヒロ展は2016-7/18日までの開催です(見応えはばっちりですよ〜^ ^)
さてまた時間も迫ってキタ、1時間後に阿佐ヶ谷に行ってないと間に合わないのでタカヒロさんとご挨拶して再び次の目的地にひたすら駅まで歩く
都会は坂の上下や地下の階段など(お年寄りにどうする?ってくらい不親切になってる気がする)ふー、ほんとに良く歩かせられ魔ぉう〜〜す(≧∇≦)💦
歩く歩く
そしてまた歩くなのでした。
2016-7/10記録 :再編7/15 大橋学(MAO)
まだまだこの日はーつづくー笑