🔵出崎さん讃 メモリー。ふぁーすと たからじま
出崎さん讃 メモリー。ふぁーすと
たからじま
たからじま
🔹◎たまたまテレビで出崎さんの【宝島】を家族で観たので
少し出崎さんの関連話しをー。
*映画版の宝島はダイジェスト(編集版なので)は話が飛んでいるから良さが半減してたようです。やっぱり出崎さんの演出はテレビでこそ発揮するのだな と、
マンガ週刊誌連載のように終わり方が「次週へ」と次への期待を繋ぐのはジョーなどに表れてます。映画版では【あしたのジョー 2 】は成功したが あれはテレビと同時進行だったから、(原作の良さは勿論のことですが )
出崎さんが まず編集版には手を出さないのはナマで生きてる感じを絵コンテで表わせないからだと思う。
: (映画版 ガンバの冒険 も編集は別な方が担当?だったと思います)
唯一の例外で "映画版の名作【家なき子】" は出崎さんの編集版でした、
(これを観てる人は少ないと思う、当時の映画小屋では観客席はまばらで寂しいほどでしたから)
内容はテレビであらすじを辿るのは やってるので(話は)追わず、ビタリス(お師匠さん)の死を深く描いて(編集して)いたので観た人に内容は全然伝わらなかった、と思う。自分的ににはとても良い作品と感じた一作ですが‥(超の付く暗さで重厚な語り口)
”出崎節"と言うのが有ります、(こぶしの有る浪花節のような、一つ 何かに絞って深く掘り下げる感じを《出崎節》て自分で勝手に言ってますw)
出崎さんは演歌とか浪花節は好きだったからな~(カラオケでも良く歌ってました)
映画版【コブラ】はどうだったのかな‥?
アレはTVも決まっていて映画版に入ったので(編集版では無く丸々新作です)他の映画版とは一線を引かないと語れないですね
【宝島】はTVの放送時に娘2人が熱中してくれたので(その感情以上には語れない) 語るのは娘たちに譲りますから、ぜひ語って貰いたいな~とw
只、アニメーター大橋学としては 過ぎてみれば
やっぱり良い作品の一つに関われたと言う事がラッキーだったのですね、(描いてる時はヤケクソ乍らも‥w)
出崎統さんはやっぱりTVシリーズの監督が1番の土俵で有り舞台だったのです。
*チーフディレクターで有り乍ら他の人には絵コンテを任せず自分で全部 絵コンテを描いてしまうところ、それこそが その"出崎節"をとことん出し尽くせるのだろう
と、久々乍ら思いましたー。*出崎作品は全シリーズを通して観るのがBest鑑賞ですね!(アニメーターも同様に、紙の上に生きてるのですから)
#魔めも 8/25
*↑たまたまですがこのシーンは全部の原画を描いていました。
(酒場のモブに自分を入れなかったのは奇跡だ?そこは宝島なので真面目にしたんだよ、きっとw)
🔵出崎さん想い出メモリー。ふぁーすと
今回はあの【宝島】なのでそれが良いのかな?
以前何処かで話してますが、家なき子の一年間で疲れ果てて、又もやアニメ界から足を(手も)洗って《逃亡》を企んでいました。大橋学の(28歳〜30歳辺りの頃)
その少し前に遡ってー家なき子は…東京ムービー新社制作のテレビアニメ。監督: 出崎 統 (作画監督、杉野明夫 尚 画面設定職で 大橋学 (となっているが作画監督と道義です)全51話。放送は日本TV系列でキー局の放送枠は毎日曜18時30分から19時00分まで。
初回: 1977年10月2日 最終回: 1978年10月1日(Google アニメ家なき子 より)
引き続き→《宝島》:同監督、同スタッフ *1978年10月8日から〜1979年4月1日まで。
尚、調べによると3年半続いた日テレ系日曜18時台の児童向け番組枠は廃止され、ー(以後は情報番組となる)と有り、もし人気が定着してたなら番組は継続されていたはずなのだが、良く考えてみれば強力な表番組(サザエさん)が‥(裏と言ってたけどw これが健全と言われる?表にぶつけたのは無謀だったのでは?こんなところが日テレ、東京ムービーと、出崎さんらしいですが‥)
注: 家なき子は日テレ開局25周年記念作で(多分予算大幅アップでw)初の立体アニメとなった(青と赤のメガネをかけて観れば更に立体は増す手法)出崎さんは張り切ってBookの重ねの引き枚数は増えるばかりと…(大橋の補足、引きはマルチではなく全部が密着引きが基本手法、極秘の引き早見表が配られた‥)
これを見ると解るように一人の監督作品が続けて2作、一年半も ほぼ一人で絵コンテも描き切っていると、(ある意味で宮○さんより凄いのです、と思うのだが反対意見が有ることもまぁ理解はしていますので‥ 笑💦)
:まぁ大橋学は出崎さんが好き(杉野さんも)なので この際はご勘弁を (笑)
や、メモリーふぁーすとの字数がOverだ〜(本筋に進まないよ〜あちゃーw)
予告編にしょうかな‥😅あれ〜っ!?
唯一、東映動画アニメーター出身からの自分がいたのは、有る意味の流れでした‥
(そこは“あしたのジョー"の衝撃ゆえの賜物と!‥)
家なき子は○杉通りの材木屋で作業をし、宝島になってからでは近くの靴卸しセンターの上の
○満ビル の広いスタジオに移動し、尚且つ足りなくて一本先の道の 黒っぽいビルの一角
(2階は珈琲店)の確か三階も借りていて
ここに出崎さんがいた‥
大橋学は家なき子終了後は行方をくらましてたが‥
ある日の出社で 出崎さんに呼ばれた・・!?
もはや宝島の一話の作業はとうに進められていたのだが…
(以下 次回に)
おいおい〜なんだょー!いいところでー!!
(すみませ〜ん💦w)
ツイートより ー 出崎 統さんのことば ー
*大橋学が個人的に聞いたもので 一般的には知られてないかも知れません
🔴ダメな奴でも描けりゃいいの
#出崎統語
解: これは自分(大橋学)に言われた?と思っていることばですw
あ、思い当たるな〜っ と思うならば 貴方への言葉と思い
ガンバしてください (魔ぉう)
↑シンディやまうちさんが応えて下さりました、
ありがとうございます!
2014年8月26日 記録 大橋学。(次回と言ってもね‥いつになるか?笑)
*編改訂 9/23 :9/26. MaoLamdo